第二章十九話 ・ めぐりめぐって
遠い昔の話である。
ある日、突然、ちょっと待って、危ない危ない、
ギリギリのところだった。魚まで食べることができなくなるすんでで
思いとどまることができたのは
父の一言だった。
ただ単にわがままを言った訳じゃなかった。
考えてしまったのである。
自分と同じ生き物を殺し、食べると言う行為が牛や豚、
鳥などからとうとう魚もだ!!と気づいた瞬間だった。
動物好きは父の影響で、家には犬や鳥、熱帯魚にハムスター、インスタントコヒーのビンには蟻等‥
はじめはスーパーで買う夕食の肉の細切れとそれぞれの動物とが結びつき、
自分の中で、これもダメ、これもダメだと解りはじめ、またかの連続だ。
そのことを母に説明したこともない。
だが多分、何もかもわかっていたと思う。
幼少期の私が考えに考え、可哀想だと言う結論に結びついたことを・・・・・
強制された記憶はない。
納豆だの父の好きな練り物だの、ちりめんじゃこ等
毎日の食事を工夫してくれた。
だが、最後には食べる物が本当になくなりそうになった。それくらい考えてしまったのである。
それは高校2年の夏まで続いた。バカみたいな話だが本当の話である。
辛うじて食べることができた魚と豆類が私の体を形成していた。
幼い私にとってのアメリカは地獄のような日々で、肉・肉・肉と、
気を利かせての○ンタッキーフライドチキン、コールスローだけしか食べるものがなかった。
動物園での鳥コーナー、ちょっとしたミニサーカスもインコやオウムの輪投げや綱渡り、
可愛い可愛い・・・・・・・。
理解できなかった。
一部リーグで優勝する高校の合宿は想像を絶する。
長い合宿生活の中で、ある日の夕食
私は禁断を破った。
1年時は遠慮しているで解決したが、レギュラーに定着した高校2年の夏だ。
初日のカレーをやり過ごし、二日目にその物がでた。腹をくくった。
美味かった。肉がこれほどまでに美味いものだとは想像もしていなかった。
仕方がないんだ・・・・・頭では分かっていても、極限まできて、初めて理解できた。
今年、台風11号で神戸市から携帯に避難勧告のメールが届いた。
土砂降りの中の帰り道、蝉の幼虫がアスファルトの道路を横断しようとしている。
何もこんな日に・・・・・明日はもっと雨が降ると言うのに。
車に引かれやしないか、雨で側溝に流されやしないか、見届けるか助けるか
私の夏は忙しくて仕方がない。
ビンゴの散歩で目にする光景、とりわけ地中に7年、地上で10日の命となれば
居心地のよさそうな木を見つけ自力でしがみつくまで手を添える。
何をやってんだか・・・・・
めぐりめぐって
そんな私が今こうして鹿の事業をしている。
企画するTシャツも、ご両親が子供さんに説明する時、
可愛いタッチで動物を描くことで感じる違和感と可哀想だという思いを和らげたい。
農作物を荒らす等の理由で・・・・・
線書き調で鋭く描く必要を感じた。
様々な壁にぶち当たってきた。
当然、今でも・・・・・考え込むこともある。
最後に父に言われた一言は・・・・・「 魚は人に食われて成仏する。」
父が健在なら今の私に何を言うのだろう。
郁也